第104回 千年企業研究会(福井塾)議事録

令和3年11月22日

■アート引越センターの寺田千代乃名誉会長から学ぶ(2)

今日は先月に引き続き、アート引越センターの寺田千代乃名誉会長から我々は何を学ぶかという事について触れていきたいと思います。

1)企業経営に学歴は関係ない
“学びは仕事の中にある”

2)“経営とはセンス”だ
社長のつもりで働く

3)チャンスと思ったら思い切って投資する
経営とはある一定のリスクの上に利益がある

4)資本構成の重要性 持ち株比率51%

前回は1の「企業経営に学歴は関係ない。学びは仕事の中にある。」という事について、お話をしました。今回はその次から話していきたいと思います。

寺田氏は決して成績が悪かった訳ではないのですが、本人の意思で中学を卒業後、直ぐにインテリア(内装)業者に就職しました。そこで、17歳の時にファッションデザイナーのコシノヒロコ氏の事務所のインテリアの担当になり、コシノヒロコさんとの関りが出来たそうです。後に関西経済同友会の会合で再会、ご挨拶した際にコシノヒロコさんが「初めまして」と挨拶したのに対して、寺田氏は初めましてではないという事と昔の出会いについて伝えると、コシノヒロコさんも当時を覚えていたというお話を前回にもしたかと思います。この“当時の事を覚えていた”とエピソードにおいて、他の人と寺田氏の何が違ったのかという事について考えますと、この当時の事について、寺田氏がインタビューで記者の「どういう意識を持って当時の仕事をしていたのですか?」という様な問いに対して、寺田氏は「私は、中学を卒業し就職した時から社長のつもりで仕事をしていました。入社し自分は一社員、つまり自分が労働者として何時から何時までの時間を働くという自分の時間を切り売りする様な考えは持っておらず、その会社の社長のつもりで働いていました。ただそれだけです。」という様な事を答えていました。この遣り取りから我々が学ばなければならない事は、“経営とはセンス”だという事です。私はこれまで“経営者とは”という事についてお話してきましたが、寺田氏のエピソードの様に一従業員であった当時に労働者としてではなく、経営者の意識を持って仕事をしていたというエピソードを通して、皆さん方には仕事をする上での参考にして頂きたいと思います。話を戻しまして、寺田氏のこのエピソードをきっかけに私が思い出したのが、一橋大学の都留重人教授の話です。私は都留教授の著書等を拝読しているのですが、この方が仰っているのが“経営はセンス”だという事です。また、同じ一橋大学の楠木建教授も同様の事を仰っており、センスとは何かという事についても言及されているのですが“地頭の良さ”と“勘と度胸”だという事を仰っています。そう言われた時に、我々は「自分にはセンスが無いからしょうがないね。」と思いがちですが、決してそうではありません。楠木教授は“センス”つまり“地頭の良さ”や“勘”や“度胸”だからといって、それらが後発的に身に付かないものなのかというと決してそんな事はないとも仰られています。努力次第では“センス”そのものが磨かれていくという事を仰られています。その為にはどうしたらいいかというと、自分の上司や仕事上関りがある人等の周囲の人の中で、仕事振りや考え方等、様々な点において見習うべき人だと思ったら、その人の真似をするといいという事です。身近に接している上司などに所謂“仕事が出来る人”がいたら、そういう人を見習って少しでもその人に近づく為に努力するという事が大事ですよということ仰られています。我々が寺田氏とコシノ氏とのエピソードから学ばなければならない事は、寺田氏は中学を卒業して、直ぐに就職し、色々な事があったとは思うのですが、自分が経営者としての意識を持っていたという事、色々な局面で、その時々の人との出会いを大切にしながら、その時々の最善を尽くして経営者としてのセンスを磨いていったという事です。その結果、後にアート引越センターという大企業の社長として起業出来たという事です。つまり、2つ目の学ぶ点として挙げると“経営はセンス”だという事です。自分が社長、つまり経営者という視点を持って働くという事を寺田氏は誰に教わった訳でもなく、自分が就職した内装業の会社で仕事をしていた時に出来ていたという点が寺田氏の非常に顕著な特徴であり、そういう視点で仕事をしていたからこそ、コシノ氏も時間が経っていてもその当時の寺田氏の事について、記憶に残っていたのではないかと思います。

話をレジュメに戻しまして、アート引越センターの沿革を見ていきたいと思います。後に千代乃氏の配偶者となる寺田寿男氏は鉄鋼部品の会社でトラックでの荷物運搬の仕事を担当していて、その仕事振りを評価され社長からの後押しもあり独立し寺田運輸を設立。この会社は部品運搬の傍ら販路を広げていく事になります。千代乃氏も内装会社の仕事の傍ら、この会社を手伝っていたそうです。販路を広げる為にトラックの稼働していない時間を活用し鉄鋼部品以外を運搬する事を考え運ぶ荷物がないか聞いて回ったそうです。事業拡大をするには営業力が必要、営業力とは何かというと行動力だと思いついて、待っていても仕事は来る訳がない、こちらから歩いて行って出会いを求めなければならないと必死に行動し続けていたそうです。そんな中、ひょんなことから立石さんとの出会いに恵まれ、立石電機の仕事を受ける様になります。立石さんの会社との取引にはその当時に多かったオープン型のトラックではなく、専用の箱型トラックではなければならない等、金銭的にも負担がある課題はありましたが、それらの課題にも対応し立石電機からの仕事を受注するようになりました。箱型のトラックの導入等、決して安くはない投資をすることになる訳ですが、会社経営というのはある面リスクを冒さなければならない局面があり、そうしなければ利益を出せない事があるという事を千代乃氏も述懐されていました。因みにこの立石電機が皆さんもご存知の現在のオムロンです。当時は立石さんがこれほど偉い人だと知らず、後日知ったそうです。この時の事についてのポイントとして“立石さんに何故会えたか?”について触れたいのですが、日本語での表現は難しいのですが、英語に「Serendipity」という言葉があり、意味合いとしては「何かに悩み、努力を尽くした時に神様が与えてくれる思いがけない偶然の贈り物」という様な意味合いになるのですが、寺田氏が悩みつくし試行をし続けるという壁にぶち当たっていた状態であったからこそ寺田氏にSerendipityが与えられたのだという事です。私も振り返ってみると、仕事や経営というものは苦しい時の連続です。良い思いというのはほんの少しで大部分が苦しい時です。それでも人間はこの壁を乗り越えようと取り組み続けていると人にSerendipityが訪れるという事です。このSerendipityという言葉を意外とよく耳にするのですが、私が特に印象深く覚えている方が2人思い浮かびますが、ノーベル賞を受賞した日本人の2人でそのうちの1人は吉野彰さんです。つい最近日経新聞の連載の私の履歴書にもこの方の記事が掲載されていた方です。自分がノーベル賞を受賞できたのは偶然のなせる業で正にSerendipityだというようなことを仰っていました。もう1人、印象深かったのがサラリーマンノーベル賞受賞者で島津製作所の田中耕一さんです。この方も偶然の産物がもたらした結果により、ノーベル賞を受賞する事になったSerendipityだと話題になった方でもあります。田中耕一さんの発見は、研究中の試薬の扱いを間違えてしまい、捨てるのもなんだしと実験を続けた結果、自分の予想と違う反応を得た事がきっかけだったと言われています。また、この方の発見した事はその後の医療の発展に大いに貢献している素晴らしいものだったのです。私が思うにSerendipityが与えられるのは謙虚な方だという印象があります。一生懸命苦しみながらでも挫けずに努力をしていると必ず誰かが、それこそ神様が見ていて贈り物が与えられるという事なのです。ですから、成功している人というのは苦境にあっても諦めずに前向きに取り組み活路が見いだせる、こういう考え方は我々が仕事をしていく上で非常に大事だと思っています。経営者になるならないに関係なく、人間として努力し悩んだ時に絶対に誰かが見てくれていて、苦しさだけで終わらずに何らかの贈り物がおくられる。徹底的に苦悩し努力した末に与えられる物であり、例え与えられない場合であってもその努力の結果として、問題を乗り越えるだけの力を得ているのが人間というものだと思います。話を戻しますと、3つ目の学ぶ点として挙げると“チャンスと思ったら思い切って投資する” 経営とはある一定のリスクの上に利益があるという事です。「これは!」と思った時にはリスクを冒さなければいけないという事は覚えていて頂きたいと思います。

寺田運輸の沿革に戻りますと、様々な取り組みや努力の甲斐があり、鉄鋼部品の運搬の他にも仕事を受ける事が出来る様になり、順調に業績を伸ばしていったそうです。それを見ていた鉄鋼部品の会社の社長から出資の話を持ち掛けられたそうで、趣旨としては株式の半分を持つ形での共同経営をという誘いだったそうです。それを聞いた寺田氏は断ったそうです。これもある意味センスだと思います。既に勉強されていたのかもしれませんが、自社の持ち株を50%超つまり51%を持たれてしまうと経営権が移ってしまうことになりますので、断る様にと言ったそうです。断ったところ、その社長の態度が一変し、鉄鋼部品の運搬の仕事を一切回さなくされ、会社の販路が絶たれてしまい、苦境に立つ事になったのです。何故、この話をするかと言いますと、この後、引越し業を営む事になったかの話に繋がる為です。ここで学ぶべき事として、4つ目のポイントですが、“資本構成の重要性”、51%の持ち株は経営権の問題でもあるという事です。しかも1/3以上株式を持たれてしまいますと、株主総会で重要事項の決定(特別決議)を1/3の株を持っている人単独で拒否する事が出来る様になってしまうのです。定款変更等を拒否される危険性があります。役員の選出等は1/2以上持っていれば決定する事が出来ますが、1/3以上持っている株主に重要事項の決議を拒否されると会社経営にとって足枷になりかねないのです。もし、株を持たせるなら1/3未満となるようにする等の対応が肝要です。こうした事は会社法を勉強しなければならないという事ですが、千代乃氏のこの判断からも勉強していたのだと思われます。

本日は千代乃氏から学ぶべき事の2つ目から4つ目迄を紹介してきました。話がまだ途中ではありますが、本日はここまでとします。次回は鉄鋼部品の運搬の仕事がなくなり会社が窮地になったこと、そんな中何故引っ越し業に着目したかについて、雨の高速道路での出来事等についてお話したいと思います。

以 上